
前門の街並は今取り壊しの真っ最中。
そんな話をしていたら、事務所の同僚(山東人)が言いました。
「あそこは貧乏人が住んでいたところだから、取り壊しても何も惜しくないじゃないか。」
チッチッチッチ!
あそこは、清朝末期から民国時代、
北京中のお金が集まってきたところなんですねえ。
というわけで、こないだ久し振りに前門に行ってきました。
ガラッと変わってしまった景色と、
取り壊されておらず、昔の栄華がしのばれる景色が
混在していました。
前門大街は両側を壁で覆われています。
道があるところは、壁にぽっかり穴が開いています。
大柵欄の入口の「穴」を入ってすぐ右側、
北京土産や、安物の服やかばんなどを売っている店が並んでおり、
店先では拡声器の呼び声がやかましく響いています。

この通りの名前は「珠宝市」。
今の品の無さとは相容れない名前ですが、
昔は貴金属や宝石が商われていたのでしょう。
「按摩器」の看板がかかっている店も、
上の方を見るとずいぶんと立派な建物ですね。

バルコニーの下にはこうもりのレリーフ。
こうもりというのは、中国では吉祥文様です。
この店は、昔は質屋だったそうです。
もう少し北に上がった左側には、
北京で一番狭い胡同があります。

"不通行"とかいてある通り、行き止まりとなっている、いわゆる死胡同です。
どうです、狭いでしょう。

でも、清朝末期には、ここに集まる両替屋が
全北京の銀貨と銅貨の交換比率を決めていたのだそうです。
町中の店が、開店前に銭市胡同に人を派遣して為替レートをチェックしていました。
狭い路地にある門の上を見ると、当時の屋号が残ってます。

「萬豊銀号」と読めますね。
死胡同の突き当たりに見える立派な建物。

これも、銀号だったようです。
さて、珠宝市を南に下り、大柵欄を越えてしばらく進んだ右側が
施家胡同です。
ここも、今で言うところの金融街だったそうです。

上の写真のアーチ型の窓の家、赤レンガの家は共に銀行、
その奥の高い建物は、当時の最高級ホテルだったところ。
赤レンガの家に住むおじさんによると、
当時は胡同の両側は柵でふさがれ、普通の人はみだりに入れなかったんですって。
日本の商社もここにあったと記録にあるそうです。
この建物がちょっと怪しい。

以前は門だったところが塗りこめられて窓になっていますが、
上にある渦巻き型が特徴のイオニア式の柱は、当時日本人が好んで使ったスタイルです。
もっと南の珠市口まで足を伸ばすと、
解放後鉄道局が使っていたという、立派な近代建築があります。

取り壊し寸前のこの建物。
二階からイオニア式の柱が立つ珍しい建築様式です。
ちょっと西に向かってから煤市街を北上しましょう。
掌扇胡同の入口にあるこの建物、
壁に字が彫ってあります。

「榮豊恒 煤油荘」と読めます。
煤市街の名にふさわしく、石炭や灯油を売っていた店なんでしょう。
・・・と物知りぶりを発揮したように見えますが、
これらはすべて、同行のYさんとIさんから教えてもらったことです。
ところで、この煤市街、今ではこんなに広いのですが、

ちょっと前までは、人と自転車で精一杯の通りだったんですよ。
05年の夏に撮った写真と比べるとよくわかります。

「雲南商店」の看板が無かったら、同じ場所とはとても思えないでしょう。
こうやって街並が変わっていくんですね。
- 2007/02/09(金) 23:14:07|
- 北京でお散歩
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