以前、エイジアンナビゲーターさんが教えてくれましたが、私が住んでいる東単周辺には、戦前日本人街があったそうです。
確かに、よく気をつけながら散歩をしていると、
20世紀初頭に建てられた様な洋館がたくさんあります。
ちょっと覗いてみましょう。
この辺で洋館といえば協和病院。
アメリカのロックフェラー財団の手によって、1921年に設立されました。

こちらの中西折衷様式の建物、今は病院としては使われていません。
周辺には関係する施設がいくつかあります。
こちらは、東単北大街から見える、協和病院の専門家宿舎。

先ほどの中西折衷の建物の北側に、北帥府胡同があります。
その奥に入っていくと、
昔ながらの四合院に混じって、ちょっと変わった建物が見えます。

路地の塀越しではよく見えないので、
北帥府胡同37号の門の中にはいってみました。
昼時は、みんな昼寝しているのか、誰からもとがめられません。

資料によると、洋行帰りの兄弟が建てた家だそうです。
本来は、裏にある似たような洋館も同じ敷地にあったようですが、
今では塀で仕切られています。
東堂子胡同と外交部街をつなぐ協和胡同という細い路地。
そこからこんな家が見えます。

こちらは、清末にフランスに留学し、中国の西洋建築に大きく貢献した建築家、
華南圭さんの家だそうです。

入り口で改装工事をしており、中に入れませんでした。
窓の形など、斬新ですね。
東堂子胡同に戻ると、こんなきれいな洋館が見えます。

私の持っている資料によると、
日本の財政部長(財務大臣)が住んでいたとされています。
中国のネット情報では、
北京大学人民医院の創設者、伍連徳博士が1912年に購入したとの記載もあります。
最近、ずうずうしくなった私は、ずかずかと門の中に入り込み、
見学しました。
当時の洋館に共通しているのは、優雅な階段。

ずうずうしさが徹底せず、手振れを起こして申し訳ありません。
でも、曲線の優雅さは見て取れますよね?
東二環路から長安街に入る手前(北側)に金宝街という通りがあります。
そもそも、金宝街なる通りは、5年前には存在しませんでした。
私が北京に赴任した2004年、事務所にかけてあった北京地図には、
こんな通りはありません。
私の住むマンションのオーナーが、反対を押し切って造ったそうです。
良し悪しはともかく、私は便利なので毎日使っています。
で、二環路から入って、最初の信号の右手に、こんな建物があります。

ちょっと覗いてみましょう。
二階にベランダがある優雅な造り。
柱は、当時の日本人に好まれたコリント様式です。

建物の西側には、二階に上がる階段がありました。
今では、針金にデカパンが干してある、庶民の住宅ですが、
この階段の手すりは、半端な建物ではありません。

実はこの建物、去年の夏に潜入したことがあります。
当時は、入口の脇に部屋が付け足されており、
そこに住むおばちゃんがいろいろ説明してくれました。
ところが、そういった、後から付け加えた部屋は皆取り壊されてます。

正面、リヤカーが見えるところがおばちゃんの住む家でした。
おばちゃん、どこに行ったのだろう?
その時集まってきた住民は、以前日本人が建てた建物だと言っていました。
後に手に入れた資料では、三菱が使っていたと記されています。
さてさて・・・
- 2007/06/29(金) 21:16:46|
- 北京でお散歩
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