
今住んでいるマンションから会社までは、歩いて約25分。
東単北大街と朝陽門南小街の間にある、小さな胡同を通るのが楽しみで、
いくつかある胡同を、代わる代わる歩いています。
北から見ると
金宝街:大通りでつまらない。
東堂子胡同:北京市公安局の苦情受付所があり、
朝は各地から来た苦情を言う人と、公安局員で大混雑。
東側には立派な洋館が残っています。
外交部街: 迎賓館跡があります。
西総部胡同:李鴻章の家祠が、壁だけ残ってます。
新開路: "新"と言っても相対的に新しいだけで、清の時代からの胡同。
そして、一番南にある北極閣三条は、
すぐ南が長安街とは信じられない静けさで、
私の最もお気に入りの通勤路です。
今日は、このルートをご紹介しましょう。
マンションを出て金魚胡同を東に進み、
最初の交差点を右折すると、バスもたくさん通る東単北大街です。
道の向こう側(東側)の塀の向こうに、赤い洋館がいくつか見えてきます。

これは、近くにある協和医院の宿舎です。
1920年代にロックフェラー財団によって作られた協和医院、
この宿舎には当時医療の専門家が住んでいたようです。
もう少し南下すると、右手にその協和医院が見えてきます。
当時の建物は裏手にあり、今は病院としては使われていません。
表からも、一部美しい洋風建築が見えますね。

この病院には、外国人/幹部専用の受付がありますが、
サービス内容は・・・
中国の病院を見てみたいという方にはお薦めします。
このあたりで東単北大街を東側に渡り、
ちょっと南下したところにあるのが、お目当ての北極閣三条です。
入るとすぐ左手に、古い中国建築が見えてきます。
以前のブログでも紹介した、寧郡王府です。
今は旅館になってるとのことですが、いつも門がしまっています。
でも、朝は開いているので、
「関係者以外立ち入り禁止」を無視してちょっと入ってみました。
中には広い庭と、大きな建物がありました。
最近読んだフリーペーパーによると、
20世紀初頭には、
アメリカ人毛織商が、カーペット工場として使っていたこともあるそうです。

窓のところに白くて長細いものが見えますね。
誰が食べるのか、葱を干していました。
まっすぐ東に歩くと、道が北に曲がり、すぐ東向きに戻ります。
ここには、協和医院の別の宿舎があります。

窓が開いている部屋もあるのですが、
あまり使われている様子はありません。

宿舎が過ぎたところに十字路があり、
その南東角の門には赤いちょうちんがかかり、門はいつも閉まっています。
実は、ここは昆劇を見ながら食事ができるレストランです。
その隣、北極閣三条22号には立派な門があり、
塀の上には緑色の瑠璃瓦が見えます。
門から中に入っても、誰からもとがめられません。

ここには、清の時代に縁慶禅林という寺があったそうで、
道光17年(1837年)に修築された後、
中華民国の時代には、協和医院の所有となっていました。
横の壁に見えるドアは、その時に作られたもの。

ひさしには、お寺の名残が残っていますね。
この東隣には、20世紀初頭に建てられた洋館があります。
ここは、当時協和医院が使っていただけでなく、
今でも、協和医院の宿舎だそうです。

2階の廊下の端に男の人が立っているのが見えますね。
ちょっとぼけてますが、階段と2階のお宅のドアです。


ちなみに、この潜入は通勤時に行ったものではありません。
元の北極閣三条に戻りましょう。
正面に、建設中の婦女連合会ビルが見えてきたら、散歩道も終了。
日本に行ったことのある中国の方々は、
日本の街並は掃除が行き届いていてきれいだと言います。
胡同に住む人々だって、きれい好きですよ。

引っ越すと、ここを歩いての通勤もできなくなりますね。
- 2007/12/07(金) 21:31:04|
- 北京でお散歩
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DVDで「火龍」を見たのですが、その映画の中で、反帝病院で死ぬシーンがあったので調べてみたら今の協和病院であることがわかりました。
それから、観音寺22号に引っ越すというセリフがあったので住所を探しましたが、前門のルリチャン側に観音寺街という商店街がありましたが、観音寺22号という住所は見つけられませんでした。
- 2008/09/11(木) 19:07:20 |
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- yuko #-
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協和医院は溥儀さんが亡くなられた元「反帝医院」だそうです。
- 2008/09/11(木) 03:11:32 |
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