北京ひまつぶし

北京駐在中のおもしろい出来事を、皆様にお伝えします。


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黄河と共に栄えた村

129西湾陳宅門枕石

磧口や李家山では顔を洗った水は貯めておいて別の用途に再利用。
当然雨水も貯めて使います。
人々は山肌に掘った横穴住居に住み、肉や酒はめったに口にすることない、
そんな生活をしながら、明るさは決して失っていません。

「こんな場所が、北京からそれほど離れていない山西にあったとは。」
「日本軍がこんな場所にも侵攻し、統治を試みたとは何とおろかな。」
「こんな厳しい環境で、聞き取り調査をする日本人がいて、
 女子大生、女子高生が泣言も言わずに2週間も滞在しているなんて。」

大きな感動を伴って、李家山から一足先にふもとの磧口に戻って来ました。

今日の午後は、磧口の街並を散策です。

(2007年9月6日)
磧口の街は、黄河に湫水河が流れ込むところにあります。
そこから、上流に向かって湫水河沿いを30分ほど歩くと、西湾という地区に着きます。
ここには陳氏という有力な家があり、清の時代には非常に大きな住宅を構えていました。

広場でキョロキョロしていたら、布団を抱えたおばちゃんが声をかけてきました。
「何を探してるの?」

陳宅を見学しようと思っていると告げたら、
「私が案内してあげるわよ。」

布団を抱えたまま坂を上っていきます。
立派な門に着くと、鍵を開けてくれました。

120西湾陳宅夫人

なんとこのおばちゃんは、陳氏14代目の奥さんでした。

門や柱に精巧な彫刻が施されているのは、お金持ちの証です。

138西湾陳宅彫刻

丘の斜面にいくつもの門と邸宅を持つ陳宅、
先に見学した"王家大院"の田舎版といった趣です。

清の時代にはその家の女子はみだりに外に出しませんでした。
ここは、嫁入り前の女性が住んでいた部分。

147西湾陳宅廂房手すり

鼓と卍の模様には何かいわれがあったのですが、
忘れてしまいました。

この邸宅、日本軍がこの地に侵攻した際、司令部がこの家に置かれたそうです。

150西湾陳宅廂房から

清朝滅亡後、この屋敷が損傷を受けたのが3回あるそうです:
1回は、日本軍による侵略、
1回は、50年代の"大躍進"、経済政策の失敗から全中国で餓死者が大量に出ました。
その時は、食うに困って自宅の建材を売り飛ばしたそうです、
そして最後の1回が文化大革命。

152西湾陳宅巷

今は旅館として部屋を提供しています。
1泊30元でオンドル式の(元)お屋敷に泊まれます。

すっかり仲良くなった奥さんに家に招かれ、14代目ご本人にもお会いしました。
警察官を退役したご主人、バイクで磧口まで送ってくれました。

磧口賓館の裏手からは、華やかなりし頃はにぎやかであったであろう、
磧口の主街道に出られます。

157磧口主街旅館裏

趣のあるこの通り、
石畳がなんとも言えません。

こういう、とぼけた造り酒屋もあります。

156磧口主街酒屋

さて、私を磧口に誘った例の家を探さなければなりません。
高いところから眺めようと、黒龍廟のある丘に登っていきました

黄河と湫水河の合流ポイントがよく見えます。

159黄河合流

丘の中腹にある、獣道に毛が生えたような道をたどって、
黄河の下流方向に歩いていきました。

上から見ると、黄河沿いの旧宅が覗けます。
そしてしばらくあるいたところで、

あっ、これだ!

163黄河賓館

建て増しされていますが、間違いなく本に載っていた建物ですね。

162ヤオ洞四合院写真

今は黄河賓館となっていました。

目的を達成したので、獣道から黄河沿いの道に下ります。
旧街道は、河沿いから1本山の方に登ったところにあります。

黄河沿いから旧街道へは、何本かの通路が通っています。

173磧口客桟横道

これが旧街道。
当時繁栄を極めた商店が並んでいます。
この写真に見えるのは、右からマッチ屋、銀行の前身"銭庄"、そして布地屋です。

175磧口主街旧商店

翌日は、まだ真っ暗な内に磧口を発ちバスで太原へ、そこから飛行機で北京に戻りました。
1週間の山西省の旅でしたが、本当に内容の濃い旅でした。

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  1. 2008/01/08(火) 17:40:52|
  2. 旅行記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3
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コメント

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お返事ありがとうございます。
寒さは覚悟の上で行ってみたいと思います!
そこでもうひとつ質問させてください。
離石から磧口までのバスはこの「黄河と共に栄えた村」記事中の画像で紹介されている街の近くに到着するのでしょうか?
もしかすると平遥を午後に出るかもしれないので、暗い寒い中さらにバスなり徒歩なりで移動しないと宿にありつけないということになると一緒に行く友達に絞め殺されるかもなので・・・
  1. 2008/01/16(水) 23:24:56 |
  2. URL |
  3. ハテコ #Y8E8kkJc
  4. [ 編集]

磧口

ハテコさん(ひょっとして文字化けしてますか?)

駄ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
磧口はまだまだ観光化が進んでおらず、面白いと思いますよ。
大同や平遥とそれほど気温は変わらないのでは?
今の時期なら、オンドルを実際に使っているでしょう。
いずれにしても防寒対策は十分しておくことをお薦めします。
  1. 2008/01/16(水) 08:25:13 |
  2. URL |
  3. 山大22号 #-
  4. [ 編集]

はじめまして~~

いきなり失礼します。
来週、大同、平遥を旅行しようと思っていて、情報収集のため色々検索していましたら山大22号さんのこちらのブログにたどり着きました。
磧口!!!
こりゃヤバイ。ぜひとも行ってみたい。
しかし、今は真冬なんですよね・・・
この時期でも行けるようなところなんでしょうか?
もしご存知でしたらお返事お願いします。
  1. 2008/01/16(水) 03:59:49 |
  2. URL |
  3. ハテコ #Y8E8kkJc
  4. [ 編集]

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Author:山大22号
横浜の会社から派遣されて
北京駐在中。
サッカーと食べ歩き(飲み歩き?)は
生涯現役が目標です。

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