
孔廟の南西の隅にある持敬門から、通しチケットで国子監に潜入。
といっても、違法でも何でもありません。
国子監には、3年前の夏に1度行ったことがあるのですが、
その時は、孔廟とは繋がっていなかった様な・・・
少なくとも、私は気づきませんでした。
前回の訪問後、私自身が国子監の隣に引っ越してきました。
今は、家の前から、国子監の中心的な建物、辟雍の瑠璃瓦が見えます。
この建物は何に用いられていたのか?
『地球の歩き方』には、皇帝が学を講じたと書いてありますが、
そもそもこの本では、国子監が科挙の会場だったと説明しており、
丁度、自分で確認したいなと思っていたところだったのです。
国子監の正門、集賢門を入ったところに、説明板がありますが、
辟雍の使途については書かれていません。
近くに立っていた、係員らしき女性に声をかけたところ、
何と、無料でガイドをしてくれるのだそうです。
そういえば、孔廟にも同じ格好の若い女性がたくさんいました。
しまった、あっちでも解説を頼めばよかった。
集賢門の次の門が太学門。
国子監は最高学府だけあって、大学より点一つ分えらいのです。
柱が黒く塗られています。

以前は赤かったが、元の色が黒だったことが判明し、
黒く塗りなおしたそうです。
なぜ黒か、理由も説明されましたけど、
忘れました。
通りに面した集賢門の柱も、今は黒ですが、
後から、3年前の写真を見直してみると、
当時は赤く塗られてましたネ。
この太学門、当時は皇帝しか通ることができず、
学生達は左右にある小さな門から中に入ったそうですが、
今は、トイレになっているとのことで、皇帝のように太学門から入りました。
門をくぐると、牌坊があります。

朝陽門外にある東岳廟の牌坊とそっくりですね。
細かい彫刻の説明があり、
龍、如意、ハスの花が描かれているそうです。

確かに。
さて、牌坊をくぐり、
以前はなかった、場の雰囲気にまったくそぐわないモダンなモニュメントを通り過ぎると、
次はお目当ての辟雍です。

ガイドの女の子によると、皇帝は毎年1回孔廟にお参りに行き、
その際、この辟雍で学生に講義をしたそうです。
以前来た時には、内部の写真を撮ってないので、中には入れなかった気がします。
でも今は見学できます。
冒頭に載せた皇帝の椅子は当時のものだそうですが、写真撮影もOKで、
故宮なんかと比べて、やけに警備がゆるいですね。
大勢いただろう学生に、マイクのない時代にどうやって講義をしたのか、
質問をする前に、ガイドさんは説明版の前に連れて来てくれました。

建物の外に立っている2人の役人が、
外に控えている学生に、皇帝の講義を口伝えで聞かせるのだそうです。
学生というのは3種類いて、
科挙の最後の筆記試験、会試に合格し、殿試(皇帝の面接)に臨む"貢生"、
高級官僚の子弟、
それと、海外からの留学生だそうです。
ちなみに、孔廟の展示室に、会試を行った貢院の模型がありました。

場所はもちろんここ国子監ではなく、現在の建国門辺りです。
明の天順7年(1463年)の会試では、貢院で火災が発生し、90数名が亡くなった、と
翌天順8年の進士題名碑の横に解説がありました。
辟雍内部の東西南北各壁面には、皇帝自筆の扁額が飾ってあります。
北に乾隆帝、東に咸豊帝、南に道光帝の筆ですが、
西側の壁には何もありません。


乾隆帝の息子嘉慶帝は出来が悪く、ここでの講義もせず、揮毫も残さなかった、
とガイドさんが教えてくれました。
しかし、門の柱といい、ガイドさんといい、辟雍内部といい、
オリンピックを控えて随分と観光地の整備に力を入れていますね。
でも、いまひとつ詰めが甘いのが中国です。

- 2008/05/15(木) 06:35:25|
- 北京でお散歩
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