
小さい頃、こんな遊びをしませんでしたか?
鬼が壁に向かって10数え、
その間に、残りの人が鬼に向かって進んでいく。
10まで数えた鬼が振り返ったら、残りの人はその場で動きを止める。
普通は数字を数えるのではなく、10文字の言葉で代用しますが、
地方によって言い方が異なるようです。
最も一般的なのは「だるまさんがころんだ」
関西は品がなく「ぼんさんが※をこいた」
水戸の友達から聞いた「イ※ドじんのくろんぼ」はちょっと問題でしょう。
韓国にも同じ遊びがあり「ム クン フア ピ ヨ チョプ チョ シム ニ ダ」、
(むくげの花が咲きました)と言うそうです。
私が育った横浜の、ごく狭い地域では「のぎさんはえらいひと」と言ってました。(*)
小さい頃は、“のぎさん”というのが誰だか知らなかったのですが、
もちろん、日露戦争で活躍した乃木希典大将です。
日本に帰った時、用事があって千代田線の乃木坂駅に行きました。
駅を出て目の前にあったのが、旧乃木邸。
乃木坂というのはここから取ったのでしょうね。

木造の、比較的質素な建物です。
むしろ、表通りからも見える厩舎の方が、レンガ造りで立派です。

ここで飼われていた“壱号馬”には物語があります。
日露戦争の203高地の戦いの後、
水師営という場所でロシアとの会談が行われました。
乃木大将の人となりに感服した、ロシアのステッセル将軍が、
自分の愛馬を乃木大将に贈ろうとしました。
大将は、個人が受け取ることは軍規違反になるとして、それを拒否、
軍役用に用いたそうです。
その後、戦争が終わって復員した後、改めて払い下げを受け、
“壱号馬”と名付けてかわいがったそうです。

やっぱり、乃木さんは偉い人だったんですね。
表玄関の前には、「水師営の棗」という木が植わってました。

ステッセル将軍が愛馬をつないだ棗の木だそうです。
私などは、そんなことを言われてもよくわかりませんが、
年輩の方は懐かしく思うはず。
なぜなら、乃木大将とステッセル将軍の会見の話は、
戦前の小学校の教科書に出てくる有名なお話で、
小学唱歌にもなっているのです。
この物語を知らなかった私は、
旅順を訪問した時も水師営には行きませんでした。
その代わり、203高地には行きました。
日本語の上手なおじいさんが、
写真集を手に一所懸命旅順攻略の物語をするのを聞き、
(同行者が写真集を1冊買ったのは言うまでもありません)
乃木大将が建てたという慰霊碑を見学しました。

"爾霊山"は「あなたの霊魂の山」という意味ですが、
発音は"203"とほぼ同じ。
やはり、乃木さんは偉い人です。

明治天皇の死をいたんで自決した、
ご夫妻の部屋も残されていました。
(*)最近、実家が隣の中学の学区という方と会いました。
そちらでは、「とーごーさんはえらいひと」と言ったそうです!
- 2008/06/28(土) 21:23:31|
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