北京ひまつぶし

北京駐在中のおもしろい出来事を、皆様にお伝えします。


スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

硬臥の旅今昔

列車


私は20年前の留学時代、一人で中国内を随分歩きました。
飛行機には一度も乗らず、もっぱら汽車、バス、たまに船での移動でした。

なかでも、長距離はほとんどが汽車による移動です。
中国の長距離列車には、軟臥(一等寝台)、硬臥(二等寝台)、硬座(二等椅子席)があり、
ランクが一つ落ちると値段も半分になっていきます。

夜行列車で硬座に乗るのはちょっときつい。
軟臥は、硬臥の倍の料金を支払うほど快適さに差がない。
というわけで、できる限り硬臥を利用していました。

会社に入っての出張では、もっぱら飛行機を利用しましたので、
その後20年間、長距離列車に乗っていません。

今回の湖南旅行で、昔の雰囲気を味わうために、
わざわざ帰路に列車(硬臥)を選びました。



鳳凰に鉄道の駅はないので、近くの吉首までバスで行き、
そこから懐化発北京行K268次の快速列車に乗ります。

吉首まではバスで1時間。
10時発の列車に間に合うよう、女将さんに見送られて8時に鳳凰のバス乗り場を出発しました。
9:10頃無事吉首のバスターミナルに到着、そこからタクシーで駅に向かいました。

吉首駅


まだ時間があるので、駅前の食堂でコタツに座って3元のワンタンを食べました。

吉首コタツ


私が食べ終わって帰ろうとした時、政府の役人みたいな人が何人か店にやってきて、
路上での営業に関して何事か規則違反を咎めていました。
早く食べ終わってよかった。

食堂検査


駅の待合室で待っていると、そろそろ改札が始まりそうな雰囲気。
定刻より10分ほど遅れて、改札が始まりました。
特に混乱もなく指定された硬臥の下段に乗り込み、一息つきました。
私の前の下段は、若い女の子で、ホームにいる友達?親戚?に手を振ってます。
私の上の中段は背の高い若者、待合室ではずっと彼女と一緒でした。
女の子の上は、出張らしきおじさんです。
上段には人が乗っていません。

以前の硬臥はビニールシート剥き出しの席でしたが、今はシーツがかかっていてきれいですね。
上段、中段には落下防止用に縦にベルトが二本かけられていましたが、今は立派な手すりです。

寝台上中段


昔は、乗り込んだ客は自分の荷物を置くと、下段の乗客の迷惑など顧みず下段に座り込み、
「どこへ行くんだ?」
「おまえの生まれはどこだ?」
「このみかんを食え」
「このカメラはどこで買った?」
「給料はいくらだ?」
なんていう会話がすぐに始まったもんです。

ところが、今回、中段の二人は通路側に設けられた折りたたみ椅子に腰掛け、
下段の私の邪魔にならないようにしています。

向かいの女の子は、発車してからも携帯でホームにいた仲間と話したり、
ショートメッセージを送ったりしているうちに、布団を被って寝ちゃいました。

寝台下段

昔の列車はチンチンに沸いたお湯を車掌さんがやかんに入れて乗客に注いで回っていたのですが、
今では、昔の軟臥の様に、テーブルの下にポットがあり、やかんは回ってきません。

お昼になったので、皆食事はどうするのか、観察してました。
私は、売りに来た15元(約220円)の弁当を買いました。

社内弁当

以前は、車掌さんが売りに来る、紙の箱に入ったぶっ掛け飯をほとんどの人が買ってた気がします。
途中の駅で停まる度に、窓を開けてその土地の名産を買い、皆で勧めあって食べました。
酒を持参した人がいると、酒盛りが始まります。

今は、ほとんどの人が、持参したカップ麺にお湯を入れて食べています。
窓は開かないので、ホームの売り子も少ないようです。
その代わり、車内販売は充実していました。(昔はそんな物はなかった)

車内販売


窓と言えば、昔の列車で食べ終えた弁当の紙箱を座席の下に置いておいたら、
車掌さんが、「ちゃんと捨てなさい」と言って窓から外に放り投げました。

夕方、湖北省の襄樊に停まりました。
ホームで食料を調達するため、列車を下りてみました。

襄樊ホームの売り子


それでも、電車の中で食べる暖かい食料も売ってますね。
ビニール袋入りの肉まんと、お粥を買いました。
合計5元(約75円)くらいだったかな。
ホームで買った夕食


誰も話し掛けてこないので、社内は暇です。
持ってきた本も全部読んじゃいました。
下段に座って邪魔する人もいないので、よくこんなに寝られるなと思うくらいいっぱい寝ました。

向かいの女の子は、朝1時か2時に到着する鄭州で下りるそうです。
見送ってあげようと思ってたのですが、気が付いた時には鄭州は過ぎていました。

朝になってトイレに行くと、窓から入り込んでくる風が北方の冷たさです。
列車は定刻通り、10:09に北京西駅に到着しました。

行先表示


久々の長距離列車硬臥の旅。
結局、誰からも一言も話し掛けられず、
したがって、私が日本人だと気付く人もなく、
24時間の旅が終わりました。
こんなことは全く初めての経験です。

携帯電話とカップ麺の登場で、個人で楽しむ傾向が強くなったのでしょうか?
ちょっとうっとうしいけど、楽しかった社内の雰囲気がなくなって、寂しかったです。


スポンサーサイト
  1. 2006/02/01(水) 13:07:53|
  2. 旅行記
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:6
<<アヒルの焼肉-北朝鮮最後の夜 | ホーム | 食は湖南にあり>>

コメント

みそしるさん

私の知っている「昔」も、それより以前の「大昔」のことが失われた上に成り立ったもので、
当時は「今」だったはずですよね。

時代は動いているのですから、昔のことが、良さも悪さも含めて、なくなっていくのは自然の流れなんだと思います。

と、頭ではわかっているものの、どうしても昔を懐かしんでしまいますね。
  1. 2006/02/04(土) 14:49:29 |
  2. URL |
  3. 山大22号 #-
  4. [ 編集]

新参者の小生にとっては昔の中国のお話はおとぎ話のように聞こえます。大変興味深く、こうしたお話を聞いては、自分の頭の中で本来の!?中国像を作り上げていき、日々の生活でその面影を探し求めているような気もします。現在の中国を見るにも、比較すべき過去の情報が圧倒的に欠乏しているからでしょうか。

小生も去年長距離列車に乗った時、いろんな人たちとお話しました。戦後間もない頃、親の布教活動の関係でチベットで生まれたという北欧の宣教師がいて、大昔の白黒の写真を大事そうに何枚も持っていました。おぼろげな思い出と写真だけをたよりに数十年ぶりにチベットを訪ねて、今は亡き両親の足跡を確かめたいとのことでした。小生がそのお話の輪に加わったのは、車掌さんに「あんたも外国人だろう」と英語の通訳をお願いされたからです。個人主義が台頭した今でもちょっとしたきっかけさえあれば、まわりの人たちとワイワイできるものですね。

あの頃の。。。と言われるような中国はいまだに存在すると思います。ただ、それと同時にものすごいスピードでそれらが失われつつあるというのも事実のようです。

しかし、汽車の旅ってやっぱりいいですね。
  1. 2006/02/04(土) 13:33:54 |
  2. URL |
  3. みそしる #7j6Q75PU
  4. [ 編集]

叔々さん

コメントを拝見して、相当の中国通とお見受けしました。

列車の服務員は、昔の特別待遇がなくなってしまったかもしれませんが、中国民航(今はいくつかの航空会社に分かれていますが)の空中小姐の態度は格段に良くなっています。
百貨店でも、お釣を投げてよこす人はいなくなりましたね。

社会主義的資本経済恐るべしです。
  1. 2006/02/03(金) 22:50:18 |
  2. URL |
  3. 山大22号 #-
  4. [ 編集]

鉄路・火車で昔と今(といっても99~02年ですが)「変ったな」とおもったことがあります。山大22号さんもいわれてますが、昔はお茶の熱開水/お湯を1~2時間おきに入れに来たし、食事の注文や案内、下車前の案内、しかも荷物が多いと持ってくれたし乗り降りの時もちゃんと挨拶してくれてました。お湯のサービスは外人の監視もあるという話ですが。昔、愛想の悪いのはCAAC中国民航と北京百貨店が双璧ですが、火車服務員の態度が気分良くて列車での出張は楽しみでした。しかし00年に唐山から北京行きの長距離列車に乗り込んだら満員、通訳と通りかかった若い車掌がけんかしてので聞いたら、一人20元出したら座らせてやる、と言ったと。通訳が車掌長に掛け合って軟臥に入りました。昔は外人料金で3倍も4倍も取っていたから愛想が良かったのかも-そう思い出すとCAACの態度はムカツク-。今はみんな料金同じですから仕方ないか。
  1. 2006/02/03(金) 08:45:42 |
  2. URL |
  3. 叔々 #-
  4. [ 編集]

叔々さん

はじめまして。コメントありがとうございます。

「台に出ててるものは同室者の共有みないなもの」まさにそんな感じでしたね。
私など、なかなか納得できませんでしたが、“そうだね”と思われたのは、大人の風格でしょうか。

隠していましたが、向かいの座席にいた20才代のかわいい女の子には話し掛けたのです。しかし、あまり相手にしてくれず、「向こうで寝てなかったの」などと言ってすぐに寝てしまいました。上の席の長身の若者とも二言三言ですぐ話が途切れてしまいました。たまたま、無口な人と乗り合わせたのかもしれませんが・・・。
  1. 2006/02/02(木) 16:06:33 |
  2. URL |
  3. 山大22号 #-
  4. [ 編集]

23~4年前に居たときはのときはよく長距離列車にのりました。外人は軟臥の4人部屋しかのせてくれなかったのでほかは経験ありません。山大22号山河言われるように昔は同室者でワイワイやってましたね(昔も今も私は中国語しゃべれませんが)。あるときキップがとれず同行の商社の方が(私、メーカーの営業マンでした)乗り込みましょうとのことで硬座に入り込みました。車掌さんに見つけられて軟臥に入れてくれたのですが先客は解放軍の超お偉いさんのようでお付きの二人の若い兵隊を追い出して、です。入って早々は30分おきに若いのがチェックに来ましたがお偉いさんと商社の方が話しているのをみてからは食事の案内しか来なくなりました。夜中目をさましたときお偉いさんが台においていたジョニクロを飲んでいたので朝商社の方ににったら「台に出ててるものは同室者の共有みないなもの」といれ“そうだね”と思ったのを覚えています。別のときは長崎医専を卒業したという70歳ぐらいのお医者さんと同室になりました。多分文革でとおもいますが10年ほど日本語を話していないと、内容は忘れましたがしきりに私に日本語で話かけてきました。日本でも私がガキのころは同じようでした。日本も中国もなんか寂しいですね。山大22号さん、次の機会にはご自分から話しかけられたら。
  1. 2006/02/02(木) 12:14:15 |
  2. URL |
  3. 叔々 #-
  4. [ 編集]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://bjhimatsubushi.blog29.fc2.com/tb.php/43-ddfcd6dc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

貴南から北京へ

翌朝早朝、まだ寝ている子供たち以外の家族全員の見送りを受け、バスで西寧へ向かう。行きとは違うルートのバスで、西寧に近づくと高速道路を走る。走行中、またもやエンジン
  1. 2006/02/04(土) 23:43:29 |
  2. 伯林北京

プロフィール

山大22号

Author:山大22号
横浜の会社から派遣されて
北京駐在中。
サッカーと食べ歩き(飲み歩き?)は
生涯現役が目標です。

カテゴリー

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。