北京ひまつぶし

北京駐在中のおもしろい出来事を、皆様にお伝えします。


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久しぶりの北京

人民大会堂


最近中国国内の出張が続いています。

先週久々に北京で2日間過ごしました。
天安門広場に出てみると、人民大会堂に赤旗が立っています。
ここで全国的な会議が開かれているしるしです。

政治協商会議と全人代、いわゆる「両会」のシーズンですね。

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久々に帰ると、マンションの窓からの眺めも新鮮です。

私の住むマンションは、王府井通りのすぐ近く、金魚胡同にあります。
「胡同」といっても今は道幅も拡張され、
王府飯店(ペニンシュラホテル)、和平飯店(ノボテルホテル)、台湾飯店などがあるにぎやかな通りになっています。

それでも、周辺には昔ながらの小さな胡同と四合院が残り、
近代的なビルとコントラストをなしています。



これはマンションの部屋から南側を見たところです。

窓から


正面のきれいな建物が、香港の李嘉誠グループが開発した東方広場。
グランドハイアットホテルも入った高級ショッピングモールです。
東方広場の手前に見える、石造りのちょっと古い建物は協和医院。
ロックフェラー財団の寄付によって建てられた病院です。
今は、新しいビルが東隣に建っており、診療はそちらで行われます。
その更に手前には、古い家々が残ってますね。

右の方を見ると、上には北京飯店も見えます。
その東側が王府井通りになります。
王府井の裏側は取り壊しが済んで、これから何かのビルが建つのでしょう。

実は、私のマンションの売りは、故宮が見えること。
全ての部屋から見えるのかと思ってたら,私の部屋からは見えませんでした。
でも、廊下の窓から西を見ると、故宮、景山公園、北海公園の白塔がよく見えます。

窓から故宮


マンションの北側、金魚胡同の向かいには台湾飯店、和平飯店などが建ってます。
ここは、清朝末期最大の豪邸といわれた那家花園があった場所です。
満州族でも、西太后と同じ葉赫那拉(イェホナラ)氏出身の大臣、那桐の邸宅です。
義和団事件が起こって西太后が西安に逃げた時、北京に残って代理を務めたほど、西太后の信任の厚かった官僚です。
東は東単北大街から西は王府井通り、南は金魚胡同から北は西堂子胡同まで、
邸宅は広大な敷地だったようですが、
今は「和平美食園」というレストランの敷地に假山(太湖石で作った築山のような物)だけが残っています。
那家花園那家花園門


もう少し周辺を散歩してみましょう。
マニアックな情報が続きますがご勘弁を。

東方広場の東の入口は東単の交差点です。
ここから東単北大街を北上した1本目の胡同(北極閣三条)を右に曲がると、すぐに古びた建物が見えます。

郡王府

寧郡王府です。
康熙帝の孫にあたる寧郡王の邸宅でした。
乾隆帝の時代に権力抗争の結果多くの皇族が処罰された時、寧郡王も俸禄を停止され、その後廃れたそうです。
今は一部が旅館になっている以外、本体は「本当に『文物保護単位』?」と思うような荒れ様です。
ちなみに、この邸宅は道光年間に火災で焼失しました。
再建後、二度と火災に遭わないよう、北極水神真武大帝という神様を祀る「北極閣」を敷地内に作りました。
そのため、この辺の胡同には「北極閣xx条」という名前がついています。

東単北大街に戻り、もう少し北に進んだ右側の外交部街には「迎賓館」の跡があります。
清末の1908年、ドイツの国王を迎えるために建てた洋風建築です。

迎賓館

袁世凱が臨時大総統に就任した時にはここで執務をし、
孫文が北京に来た際にはここで宿泊したそうです。
中華人民共和国設立後、17年間外交部(日本の外務省)がここにあったそうです。
この通りの名前、外交部街はそこから取ったのかもしれませんね。

外交部街と並行して走る西総部胡同には李鴻章の祀堂があります。

李鴻章祀堂

李鴻章は漢民族でありながら、西太后の時代の清の外交、通商、軍事を一手に担っていた人物で、
日清戦争後、清側全権代表として下関条約に調印したことは、昔歴史の授業で習いましたね。
北京城内に建設を許された初めての漢民族の祀堂(一族の先祖を祀るところ)ですが、
現在は壁しか残ってません。

西総部胡同を東に進むと朝陽門南小街に出ます。
この道の向こう側、東総部胡同の入口にこんな建物がありました。

質屋

「寶成當」の字が見えますね。「當」というのは質屋です。
今は何に使われているのでしょうか?

派出所

この辺は派出所もちょっと雰囲気がありますね。

北総部胡同2号


にぎやかな東方広場や長安街のすぐ裏にありながら、こんな渋い門もあちこちに見られます。
ただ、残念ながら取り壊しも進んでいます。

東堂子胡同

今の雰囲気がいつまで続くのでしょうか?
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  1. 2006/03/05(日) 23:25:17|
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  4. | コメント:4
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コメント

きむさん

マンションの眺め、周囲に胡同が残っていること、二環路の中にあるこのマンションは結構気に入ってます。
今度遊びに来てください。私の懐も寒いですが、もらい物のお酒は随分あります。
  1. 2006/03/09(木) 20:52:29 |
  2. URL |
  3. 山大22号 #-
  4. [ 編集]

さすが・・・

勉強になります。しかしマンションからの眺めはいいですね。うちは4階なので、目の前に廃墟があり、あんまりいい感じではありません。おまけに北向きで寒いです。。。でも僕の財布のほうがもっと寒いです。。。
  1. 2006/03/09(木) 12:37:15 |
  2. URL |
  3. きむ #-
  4. [ 編集]

エイジアンナビゲーターさん

実は今広東省にいます。
明日北京に帰って、明後日から浙江/上海に出張となります。

へえー、あの辺が当時の日本人街だったんですか?
ちっとも知りませんでした。
教えていただき、ありがとうございます。
そういえば、『朝陽門外の虹』の清水安三の家も東単だったかもしれません。
  1. 2006/03/07(火) 18:18:10 |
  2. URL |
  3. 山大22号 #-
  4. [ 編集]

お仕事お疲れ様です。今週は北京にいらっしゃるようですね。
実は知り合いの会社が、戦前 北京に支社を出していたという事実がわかり、当時その会社が金魚胡同を西へ直進した東安門大街にあったため、昨年末に山大22号さん宅近所をウロウロ調査していました。そのほか、当時の日本人街や、邦人社会の様子なども調べたのですが、知らなかったことばかりで、すごく勉強になりました。すでにご存知かもしれませんが、現在の東単周辺は日本人街だったそうで、今は東方広場になっている場所には東単一条という通りがあり、大きな庶民市場があったほか、現在も残る東単三条には、北京居留民団や、北京日本商工会議所などもあったそうです。極寒の東単周辺をウロウロ歩きながら、歴史に想いを馳せていました。
  1. 2006/03/07(火) 15:20:15 |
  2. URL |
  3. エイジアンナビゲーター #-
  4. [ 編集]

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Author:山大22号
横浜の会社から派遣されて
北京駐在中。
サッカーと食べ歩き(飲み歩き?)は
生涯現役が目標です。

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